2012年の4月に初めて香港を訪れた時から、僕は油麻地にあるアートスペース「活化庁(WooferTen)」のゲストルームを香港の定宿にしている。正確には毎回転がり込んでいる言ったほうが正しい。香港に行くときには友人でWooferTen運営メンバーのLeeChungFungにメールをする。そうすると「おー、ゲストルームに泊まりなよ、兄弟」と気のいい返事をいつももらう。ゲストルームとはこの「活化庁」のレジデンスルームのことで普段は海外から滞在制作をしているアーティストのための部屋のことだ。僕はアーティストでもないのに使っていいよ、と言ってくれる。ありがたい。なのでいつもほとんど何も考えずに日本から飛行機に乗り込み、空港からは真っ先に油麻地行きのバスに乗って、友人のいるWooferTenを目指すことになる。空港に到着した後も行く先が頭に入っているおかげで、宿探しや地図を広げたりすることもせずに半ば自動的に体が動いていくのにまかせる。海外に友人がいて、気軽に訪問できる場所がある。異国だけれども、友人たちが待ってくれているかぎりそこは帰るべき場所でもある。世界にはいくつものHomeがある。そう思うと、心がすっきりと軽やかになる。
僕にとってこのゲストルームは香港探検の基地であり、ホテルであり、世界からやってくる人たちと出会えるリビングのような場所だ。ギャラリーの2軒隣のショップハウスの4階、アルミ製の格子戸を開け、薄暗く狭い階段をのぼってゆく。踊り場にはネズミ退治のホウ酸団子がばらまかれていたり、小さな赤色の祭壇に線香の煙が立ちこめていたり、上半身裸のおじさんが玄関の扉の向こうの暗がりの中で長椅子にもたれているのがちらりと見えたりする。古いショップハウスの中は、外の街路の喧噪とはうって変わってひっそりと静かで、湿っぽく淀んだ空気に満たされている。藻の茂った古い水槽の中にいる気分だ。
このビルの3階には「Cage House」と呼ばれる部屋がある。香港の友人たちからもこの籠屋の話をよく聞く。そのほとんどは香港の住環境のひどさを代表するものとしてその名前が上がるのだが。「Cage House」はスチール製の籠の形をした一人用の居住スペースのことで、一つの室内にこの檻が積み重なって並んでいる、というのが一般的らしい。籠の中は大人一人がやっと横になれるだけのスペースしかない。トイレ、シャワーは共同。音も筒抜けで、プライバシーはない。それでも家賃は檻一個につき2万円以上はするという。人間が大きな虫かごの中に住んでいる、と言ってもいいすぎではないだろう。香港に来るまではこの都市の住宅問題の深刻さについてほとんど知らずにいたけれど、ようやくこの街で住宅と人口過密の問題が生存権を直接脅かすほどの深刻さを伴っていることが少しずつ理解できるようになってきた。Fungが以前、高円寺「素人の乱」の松本さんの家に泊まっていたときに、窓の外を眺めながら「ああ、東京の街にはこんなにも空の青さと太陽の光があふれていているし、若い人たちはみんな一人暮らしができるなんてうらやましいよ」とぽつりとつぶやいた言葉の意味も今ならわかる気がする。
話を戻そう。そんな超過密都市香港で、海外からやってきた僕たちをタダで迎え入れる場所があるというだけどもほとんど奇跡のような話なのだ。4階の黄色いドアにはこれまでに滞在したアーティストやアクティビストたちのシールやステッカーが一面に貼られている。ドアを開けると正面には作業用のテーブル。右手にはぼろぼろのソファーと間仕切り代わりに使われている大きな絵がついたてのように立っている。Fungに聞くとこの絵は2012年の天安門事件をテーマにした展覧会で展示されていたものだという。兵士が銃を持ち天安門前を歩いている場面を写実的に描いている。この絵のついたての向こうには本棚や5m×5mほどの木製の台が設置されていて上には薄い布団が敷かれている。窓の向こうにはエンピツのおばけのような細くて長いビルが立っているのがみえる。部屋の反対側、半野外の通路の横にトイレとシャワーがある。もうタイルも壁もボロボロではっきりいうと汚いのだが、贅沢は言えない。シンクは一番奥の台所部屋にある。あまり使われてはいないけれど、ここは元炊事場だったはずだ。
基本的にはアーティスト滞在のためのゲストルームなのだが、毎回来る度に全く異なる姿を見せる。2012年4月に初めて泊まった時は、日本、韓国、台湾から15人近くがこのゲストルームで寝泊まりして、毎日遅くまでアジア式の酒盛りが行われていたので、なんだか混沌としたアジアのゲストハウスのようだった。2回目は、それまでレジデンスで滞在していた中国からのアーティストの女の子が住んでいて、すべてが小綺麗に整頓されてちょっとおしゃれな香港オールドスクールのアパートという雰囲気だった。そして今年の初め訪問したときは、10数人の香港アナキストたちに文字通り「占拠(Occupy)」されていて、ヨーロッパのスクワットハウスも真っ青の散らかり具合で、まさにカオスのような場所へと変貌していた。
最初に滞在した時、部屋にはベッドも布団も足りなかったので、僕は急遽近くの布団屋で折りたたみ式の簡易ベッドを購入して、空いているスペースに無理矢理広げて寝ていた。そして帰る時にFungに頼んでこの折りたたみベットをゲストルームに置かせてもらうことにした。「普段は来客用に使ってもらってかまわないから、僕が香港に来たときにまた使わせてもらえるかな?」。「おー、もちろん!」と二つ返事でOKしてくれた。そのおかげで(?)、僕は香港に「自分の部屋」ならぬ「自分のベッド」がある。海の向こうの街に自分の部屋でなく、自分のベッドを持っている。それは普段は折り畳まれて、時々誰かが使ったりしているのかもしれない。もちろん僕のベッドが香港のゲストルームにあるのはFungの好意のおかげだ。でも、自分が暮らしている場所以外にも自分のベッドがあるというのはなんだか愉快な気分だし、「いざというときにはいつでも香港に戻れるんだ」というなんだか変に自信めいた気持ちになったり、安っぽいベッドとゲストルームを思い出してみては時々元気づけられたりもする。
震災や原発事故以降、「いつでも•どこへでも動ける」ということが自分の生きる技術として大きな意味を持ち始めた時に、この「訪れた場所の先々で、そこの暮らしに必要なものを買ったり(できれば作ったり)して、それらを他の人たちとシェアしていく」というアイデアは、閉塞感であっぷあっぷしていた僕の心の中に、一つの小さな風の通り道を照らし出してくれるように思えた。お土産を買ったり、自分のための記念品を買ったりする代わりに、その土地の友人たちの暮らしに必要な道具や物を買って、その場所に置いておく。例えば、キッチン用品をインドネシアの友人宅に置き土産に買って置いておく、ベトナムで自分が移動用に購入した自転車はアートスペースに寄贈してみる。カンボジアの知人曰く、カンボジアでは2万円出せば一つの井戸を掘ることさえができるという。手元の2万円で春物のジャケットを一枚購入するのか、カンボジアの井戸建設費用にあてるのか。そこから自分と世界との関わり方が変わってくるかもしれない。
でも、これ無理して国際貢献しよう、といいたいわけではない。自分のカツカツの給料で無理して国際貢献しなくてよい。でも自分が直接海の向こうの誰かとつながって、今まで知らなかったお金の使い方があることを知った時、その使い方に賭けてみることもアリなんじゃないか、ということだ。自分がその場所で滞在する時に使わせてもらえるだけでなく、普段それを使っている友人達の姿を思い出してみることもできるだろうし、何よりまたその場所に帰ってくるときのきっかけにもなるかもしれない。なんて都合の良いことまでつい妄想してしまう。でも、各人それぞれの「暮らし」や「道具」を世界に散らばせたり、お互いに交換したりしていくと、何が所有物で何が共有なのかその境界は曖昧になって、その代わりに複雑な相互の贈与と返礼、そして再贈与の網の目が出来上がるかもしれない。その網の目は国境やナショナリティでは捉えられない直接的で具体的な人間と人間の関係を生み出していくだろう。そのような「暮らしの交換と共有」の実践はまだ多くが未知の領域だし、やってみる価値はあると思っている。この世界でどれだけ「そこに居てもいいよ」と言ってくれる仲間や場所を見つけることができるか、これからはそれがものすごく大事になってくるんじゃないかとぼんやりと考えている。