油麻地は香港で最も人口密度の高い油尖旺区の中にある。東西はノーザンロードと東九龍ハイウェイに挟まれ、南北にはオースティンロードから旺角(モンコック)駅にまたがる200m×1kmの長方形の地区だ。ノーザンロードの東側、旺角にある女子街や深水埗(サムスイポー)電気街はいつも世界中の観光客でにぎわっているが、西側の油麻地は地元の人たちの集まる市場、機械工作の工具、調理器具の店の並ぶ一見地味で古くさい街のように見えてしまう。本土からの長距離バスの終点でもあるこの街には朝から夕方までひっきりなしに中国からの旅行客がやってきては両替所に列を作っている。その隣ではおばあさんが荷車を引いてボロボロの段ボールを集めて回っているし、四方をビルの外壁に囲まれた小さな公園では早朝からベンチに腰をかけぼうっと遠いまなざしをしている老人たちの姿がある。出勤途中の人々はせわしなく携帯電話を指で操作しながらその横を小走りで過ぎ去って行く。
50年代に建てられた古いショップハウスビルが寸分の隙間もなく立ち並び、壁から突き出た無数のネオン看板に文字には赤やピンクの人工色に彩られビルの谷間に浮かんでいる。街路という街路では小さな食堂の湯気が立ち上り、店の前にはこんがりと飴色に焼き上げられた鶏や鴨、赤色のチャーシューがつり下げられている。茶餐廰(チャー・チャンテン:中華と西洋のミックスした香港式朝食の店)の奥には白いテーブルとプラスチック製の椅子が並べられていて、通勤前の早餐(朝食)で、波羅包(ボーロー・バウ)や火腿蛋米粉(汁ビーフンのハムと目玉焼き)、鴛鴦茶(コーヒと紅茶を混ぜた飲み物)や港式奶茶(香港式ミルクティー、砂糖とエバミルクがたっぷり)をさっと平らげる人々の姿が見える。
路上には緑色をした大きな仏壇のような露店がずらりと並び、野菜や果物、乾物が店の前に積まれている。夕方になるとこの細い通りは大勢の買い物客の往来でにぎわう。橙色の夕日は、喉に染み付いたかのようなかけ声で客を呼び込む老齢の店主たちの顔に深い陰影を添える。道路に張り出した水色のバケツの中では、ナマズや淡水魚がクチをぱくぱくさせて買い物客を見上げている。客が一匹注文すると店員が慣れた手つきでえらに手をかけて魚を水槽からサッと引き上げまな板の上に乗せる。包丁の腹でビタンと頭をたたき、さっと真一文字に開いてはらわたを取り出し、ビニール袋にそのまな投げ込んで血の付いた手で渡す。中古携帯電話のショップでは、蛍光灯の白い光の下でどこから仕入れたのかわからない中古iphoneやテレホンカードを売っている。ショーケースの奥には売り子がいぶかしそうな目でこちらを見ている。夜にはビルの一階や裏通りには売春宿のピンク色の明かりが妖しく灯っている。木造2階建ての卸問屋が迷路のように連なっている九龍水果批發市場では、夜明け前から入れ墨をした裸の男たちが果物の段ボールを台車に載せつつせわしなく行き交っている。オールド香港の都市風景の中にあらゆる人々の暮らしが溶け込んでいる街、油麻地。噂のアートスペース、「活化庁(WooferTen)」はこの街の一角、上海街のビルの一階に構えている。(つづく)