初めてロシアに行ったのは2011年の秋だった。以前の勤め先の出張でウラジオストク、ハバロフスクに数日間滞在した。成田から90分飛ぶたけで、日本か ら遥か遠方に位置するはずの「西洋」に辿り着く。それはこれまでのアジア-ヨーロッパ間の距離感覚がひっくりかえってしまうような、そんな驚きだった。無表情でパスポートを受け取る入管職員、ギシギシときしむバスの座席、砂利や埃と混じり灰色になった残雪、ペンキがはげて下地が むき出しになった駅の壁。市街地に途中には荒削りのコンクリートアパートが深い紺色の丘陵に立ち並び、そこから小さなオレンジの灯りがいくつもきらめいて いた。排ガスにまみれた工事中の道路とクラクションを鳴らしつつ猛スピードで追い抜いて行くトラックの赤いテールランプの列。泊まったホテルでは、中国語 と韓国語があちらこちらから聞こえてきた。市内に着いたのは夜10時を過ぎて街はもう静まり返っていたが、せっかく来たのだからと思い黒のフード を被って切って外に出てみることにした。人通りのない坂道の両側には4階建ての石造りのアパートがぼんやりとその巨体を虚空の方へ横たえていた。息を吐く と白い小さな煙が口元から立ち上がる。小さな見えないピンで貼付けられたかのようにちくちくと顔の皮膚を冷気が突き刺す。初秋に入ったばかりだが、たしかにシベリアの大地そのものが凍り付く季節の入り口に立っているのだと実感した。
それでも、翌日は快晴。当時は日本語教育関係の仕事だったのでホテルでの日本留学説明会にブースを構えていたが、おそらく日本文化やアニメフェスと勘違いをしてきたであろう、アニメコスプレをしてきた若者たちが印象深かった。会場では周りも気にすることなくナルトやハンターハンターなどの衣装を纏ってお互いにポーズを決めて写真を取り合う。後でふと、こういうアニメや漫画が好きなロシア極東の若者たちがのびのびと外で写真を取ったり、コスプレで外出できる場所というのは思っているほどまだ多くないのでは、と思うようになった。彼ら/彼女らにとっては、そこが日本語学校の説明会場であろうとも自分の好きな日本のオタクカルチャーを人目を気にせず表現できる場だったのかもしれない。アニメ「千と千尋の神隠し」のカオナシのコスプレが、日本語学校のブースにちょこんと座って説明を聞いている姿はなかなかシュールだった。午後に仕事関係の人たちと市内のツアーで、日本領事館、日本人センターを回り、最後にウラジオストク市街にある高台に登り、金角湾を一望する。結婚式のための撮影だろうか、ロシア人のカップルと友人たちが丘の上のモニュメントに集まっていた。ぴりぴりと冷たいが気持ちのいい風が北から吹いてくる。シベリアから吹く風を思い切り吸い込んでみた。少し霞がかった空の下、秋の光がウラジオストクの街の輪郭を少しだけ柔らかいものにしていた。