沖縄滞在記 2014.1.1

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屋上に出ると空は雲一つない快晴。深い青の天球から注ぐ暖かな光が街のコンクリートを照らす。風も止んでいる。先日の大晦日とはうって変わって人気のない公設市場の朝。静けさだけが取り残されたような元日の朝。先日一緒に初詣に出た大阪人から久高島のことを聞く。斎場御嶽と共に久高島まで回れるかどうか時間的にはわからなかったが、とりあえず沖縄に来て数日は気分もうつうつとしていたので、さすがに太陽の光を浴び、少なくとも斎場御嶽まで行こうと思い開南のバス停まで向かう。商店街はほとんどがシャッターが閉まっていて、人通りもなく年老いた気道の中のようにぽっかりとしている。開南のバス停は商店街をのぼりきったところの小さな丘の上にある。途中で近所のゴーヤバーガーを買い、昼ご飯代わりに食べつつ一時間以上バスを待つ。

駐車場の角にぽつんと立つおじさん。猫を追いかけるように見つめるおじさん。時間だけが静かに過ぎてゆく。あきらめて首里城あたりに行くバスに乗ろうかと思った矢先に38番のバスが来るので、吸い込まれるように乗り込む。20年前の内装のままのようなバスの一番後ろのシートに座る。暖かい日差しが眠気を誘いうつらうつら。窓の外は徐々に市街を抜けて古い民家もちらほら、白い屋根の上には赤茶色のシーサーが載っている。40分くらい走って、御嶽の直前でビーチに停車するというので、散歩がてらに降りてみる。坂道を下ると偶然にも久高島行きのフェリー乗り場が見えてくる。時刻を調べると14:00発。帰路の最終便は16:30。2時間だけではあるがこんな天気はめったにないので、えいやっと往復切符を購入する。小さなフェリーの二階後部席の手すりに寄りかかる。海は思いのほか澄んでいて、小魚の銀の群れがぴかりぴかりと輝いてはその姿を変えて行く。

20分くらい船は南東に進むと、水面からわずかばかり浮き上がったような低く細長い島が見えてくる。海と空の境目に小魚の腹ばかりの陸の裂け目が現れる。港へと入る時に砂浜の上に黄色いテントがぽつりと貼られてあるのが見える。青、緑、黄色の点描画。港を降りると左手に「う」の字にカーブした坂道とその上にコンクリートの休憩小屋、ベンチにはおじいさんがひなたぼっこをしている。子供たちが丘のてっぺんで遊んでいる。坂道を上り、食堂兼貸自転車屋を通り過ぎると、低いカーブを描いた石垣で形作られた路地へと入っていく。所々崩れかけた石垣の上には珍しい南国の植物が植えられている。塀の上の植物都市。ところどころにブーケンビリアの赤い花のついた緑の生け垣がガラス細工のようにピカリピカリと輝いている。コンクリート製の大きな円筒の給水塔は無音のままデ•キリコの絵画の中のように立ち尽くしている。全部で20軒くらいの小さな集落を抜けると、そこからは島の真ん中をアスファルトの一本道が延々と伸びている。両側にはソテツやヤシ、そして黄土色の枝木が互いにあばら骨のように互いに絡み合っている。風が吹く音の他には何も聞こえない。黄色く輝く太陽の光は島と空の水平線の境界を淡く白く照らし、コンクリートのアスファルトには自分の黒い陰がくっきりと浮かび上がる。じわりと暑くナイロンのジャケットを脱ぐ。自転車に乗った観光客たちが次々と追い抜いていく。

途中で、フボー御嶽の看板を見つけ右手に曲がると、熱帯植物の回廊がゆったりとしたカーブを描いている。奥に進むとさらに一層しん、とした重い空気の層に入り込む。Uの字のカーブの一番下に御嶽の入り口が見える。細長い珊瑚岩が「敷居」となり、よそ者の侵入を拒む結界を作り出している。つたや木の根っこが重なり奥に続く小道へと誘う。右からは光が漏れ開けた空間がこの向こうに存在することを予感させる。
岡本太郎がこのフボー御嶽の写真や昔の風葬「後生(グソー)」にふされた遺体を掲載したことで、一躍有名になってしまい、観光客、ヒッピーたちが大挙して押し寄せてきたという話を思い出す。また元の道に戻ってゆく。

ため池を越えたあたりにからは舗装されていない赤土むき出しの道が島の北端まで続いている。両側には久高島カーベルの植栽が続いている。昔から島人がこの島の植栽に手をかけてきたという証拠だそうだ。ウコンイソマツ、グンバイヒルガオ、モンバノキ、アダン、アカテツ、クロツグ等様々の植物が育っている。島の北端は神話上の琉球の創世神、アマミキヨが降り立った地と呼ばれている。ノロ(祝女)やイザイホーの儀礼。そして琉球時代からの土地の共有制度。この島をめぐる民俗学的好奇心がわき起こるも、同時にそれがニューエイジ思想やヒッピーカルチャーによって過大に神聖視されたことも考えると、あまり中途半端な興味関心だけで踏み込む領域ではないようにも思えた。そっとしておくほうがよいのだ、と。帰りがけにもう一度フボー御嶽に立ちよる。風と木々や葉がさわさわとすれる音と、小動物が逃げ込むがさごそという音の他に音は無い。自分以外の人間の姿はそこになく、世界と直接的に向かい合う。人間なしにも世界は存在する、すなわちこの世は人間なしに始まり、人間なしに終わるのだというその厳粛な真実を見たような気持ちになる。

全長8キロの島を2時間で往復し、急いで最終便のフェリーに乗り込む。5時には船着き場に到着。斎場御嶽には5時半までの入場だったので、急いで入場券を購入して駆け足で入り込む。すでにあたりは暗く、うすいピンクに照らされていた海は徐々に深い藍色を帯びてくる。駆け足で斎場御嶽を巡る。6時に斎場御嶽を出るがちょうど市内へ戻るバスを逃し1時間半を野外の暗闇の中で待つ。看板の裏側に座り、風よけがわりにする。7時20分のバスにようやく飛び乗り、ほっとしつつ体を背もたれに寄せつつ那覇まで戻る。