無名のデザイン

今週の日曜日に今回のレジデンスの最年少メンバーカイサンがジャカルタに帰るので、夜にカイサンの家族が夕食に招待してくれ、車を運転して山を降りる。

連れて行ってもらったSate Ayam (インドネシア風焼き鳥)の店先が面白いかった。この敷地は昼間は出店が並んでいる市場で、夜になるとこの焼き鳥屋が営業を始める。地元でも有名店とのこ と。出店スペースがキッチン、客席へと早変わりする。場所の使用に関しては市場の事務所と交渉、契約しているという。流動的で柔軟な空間って、建築のフォ ルムじゃなくて、こういう用途、機能の可変性 が人びとの暮らしに開かれていることを言うんじゃないだろうか。

夜の市場で見つけた椅子たちもとても素敵だった。誰も気にもとめられていない小さな木の椅子、竹のベンチ、低い腰掛け。そのどれもが僕には、デザインの宝の山のように見えてくる。それぞれのかたち、色に、道具としての時間が刻まれているのが見える。見た目は古汚く見えるかもしれないが、誰かがこの形を思い描いたときに生まれたデザインのエートスは常に生きているように思う。見た目に惑わされなければ、これらの無名の家具たちが作り出す空間、これらの椅子を通じて生まれる人と社会空間の相互交渉の痕跡が見えてくる。モノと人間の行為の<あいだ>に生まれる「生きられた空間」が、ここには無数に存在しているのだ。