暑い太陽が頭上からふりそそぐ、花蓮の夏の午後。地元では「肌を噛むような暑さ」と表現するくらいの熱が地上のあらゆるものに注ぐ。そんな時は、しばし木陰の下に隠れて、波の音を聞きながらみなでおしゃべりをする時間。
Memory of "Crazy Market Gathering" in Taiwan # 10
台風が一番近づいた7月9日。一日中雲に覆われ、強い風が吹き、大きな白波がつぎつぎと海岸線に押し寄せて来た日。祭りに遊びに来ていたAfraという名前の女性。崖の上で海を眺める姿、表情、身につけている衣服がとても素敵だったので写真を撮らせてもらった。強すぎる日差しで露出に泣かされたけれど、この日は曇りだったおかげでなんとか適正露出で撮影できた一枚。
Memory of "Crazy Market Gathering" in Taiwan #09
運営スタッフの一人、Zooey Lin。毎日キッチンやテントで野菜の下ごしらえの仕事をしていた。凛としたたたずまいときれいな瞳が印象的だった。最終日の夜にタバコを吸いながら、覚えている変な日本語や台南のみんなと出会った時の出来事、将来のこと、等々いろんなことを話してくれた。
Memory of "Crazy Market Gathering" in Taiwan #08
花蓮、海域手作民宿Ocean Homeの主、莊勝鐘。台湾のヒッピームーブメントの最初の世代で、この「Crazy Market Gathering」の第一回目からの中心人物。夕暮れ時、海のそばで一人踊っていた後にお願いして一枚撮らせてもらった。話した時間はわずかだけれど、亡くなったダンさんのことを思い出しながら話す口調が不思議なほどに柔らでやさしかったのが記憶に残っている。
Memory of 'Crazy Market Garthering" in Taiwan # 07
今回、この祭りに東京から遊びに来てそのままスタッフになってしまったマリオさんとがふとこんな風に話しをした。「僕ねぇ、準備から数えて2週間くらい滞 在しているんだけれど、この祭り、誰もリーダーがいないのにすごくうまく回っているんだよね。日本だとリーダーいないと無理とか言うけれど、こっちはそん なのいあんくても、誰がいばるでもなく、みんながそれぞれにきちんと動いてるんだよ。」
リー ダーがいなくてもその集団がきちんと回っていく。あ、これアナキズム的社会集団の特徴じゃないか。平等な関係と相互扶助がアナキズムの基本原理だとする と、このフェスはそれに近い。その特徴の一つに、ボランティアとオーガナイザーの水平的な関係性がある。実際のボランティアは大学生が多かったのだけれ ど、オーガナイザーの能勢興の彼ら/彼女らは決して威張るでも、上から目線で指図するでもなく、ボランティアと同じ仕事を一緒に、時には率先してやってい る。その姿を見てボランテイアの面々はそれぞれの持ち場での自分達の動きの流れを作っていっていく。
日本におけるフェスや展覧会等におけるボランティアを巡る環境では、上で決まったことを下にやらせるという上意下達のヒエラルキーが今だにあったり、それ ぞ れの担当での縄張り争いがあったりという光景を目の当たりにすることがある。少なくとも台湾のこの祭りでは(他のイベントは知らないので)最初から各人の 自発性に任せる部分が大きく、それぞれが祭りの中でしなければと思う仕事を引き受けているので、誰が上で誰が下かとか、誰に発言権があるの等々の Bossyな発想そのものが無い。断言していいのかと言われると、断言していい。本人たちがそのようなボス的指向性に全く興味を示していないのだから。む しろ、有機的であり柔軟、可変的なネットワーク、コレクティブを構成する一員として祭りに参加していると言ったほうが近いかもしれない。
もちろん、部外者にはわからない、見えない問題点はあるとは思うけれど、少なくとも一つの企画を集団的に作りあげる際にありがちな、役職や部門にやたらこ だわりすぎたり、役職ゲームで内部ヒエラルキーを作り無用な対立関係を作ってしまうということを避けているかのようだ。だから、誰でも平等に運営に参加 し、自発的に関わり意見を出し合う自由の余地があるだろう。
Yuiはボランティアの人たち に「ボランティアだから自分のやれる範囲内で関わってくれればいいよ。でも私たちは外から来た人たちを世話する役割だということを忘れないでね。」と声を かける。各人に活動の理念だけをきちんと伝達してゆく、そしてその後はそれぞれの各人の意識、自発性に任せる。人手足りないところがあれば臨機応変に他の 人たちにも声をかけたり、応援を要請したりする。
夜の食事の配膳係の人数が足りない時、カメラ片手にうろうろしている僕に声がかかり急遽その日の配膳係になった。その場の状況を判断しつつ誰でもが平等な 立場での参加の可能性を開いておくこと。それをあたかも自然に、気にする風でもなくやり遂げているところ に台湾の人たちの凄さがある。
さらにYuiやアクンたち は、他者のことを思いやるという技術をごく自然に身につけているので、祭りだけでなく日常のなかでも贈与的なふるまいを普通に行なっている。だから台湾に 行くといつも、自分は本当に学ぶべきことを学ばず、身につけるべきことを身につけてこなかったのではないだろうか、と思わされるのだ。
Memory of "Crazy Market Gathering" in Taiwan #06
台南、能勢興のなかで一番お姉さんのYui。今回のフェスの全体の運営のマネジメントをしていて、ボランティアをまとめたり、厨房の管理、露店の出店者たちとの交渉と一日中あちらこちら走り回っていて、とてつもなく働いていた。
台南家族の彼ら/彼女らは普段はのんびりしているように見えるけれど、一旦何かを始めるたり準備したりすると別人のように動きはじめる。休む間もなく仲間 と一緒になって黙々と仕事をこなしてゆく。朝のミィーティング、掃除、食事の準備、出演者や出店者とのやりとり、警察との交渉、etc... 外から来た僕のような人間があのフェスで居心地の良く過ごせるのは、彼ら彼女らの不休の働きがあったからだ。
Yuiとは3年前、素人の乱の松本哉さんのつながりで、台湾の反核運動で活動していた日本語翻訳家、今は亡きTanさんの住むシェアハウスに遊びに行った時に初めて出会った。気っ風が良く、面倒見の良い姉さんという雰囲気で、僕が台南のTanさんやYuiの家でのんびりしていた時も、ご飯や果物をいつも「タベル、タベル!」といって差し出してくれたり、台南の海岸や夜市に車で連れて行ってくれた。台南でアートスペース、ゲストハウスを作るという計画をTanさんとしていたけれど彼が亡くなった後は、Yuiがその計画を引っ張っていって、とうとう実現させた。
昨年のYuiとBaoPaoの結婚式(台湾で最初の同性愛カップルの結婚式)のお祝いに行った時も、翌日にはすぐに朝ご飯を作ってくれてみんなに食べさせていたり、本当に自然にいつも何かを他人に与えているような女性だ。Yuiと話したり一緒に歩いたりすると、彼女の言葉やまなざしにおおらかな風が吹いているのがわかる。
昨年、彼女がアクンたちと東京に来た時、横浜にある大野一雄舞踏研究所で開かれる大野慶夫氏のワークショップに参加したいと言ったので連れていったことがある。Tanさんが日本の暗黒舞踏を紹介してくれて、どうしても参加してみたかったと話ていた。ワークショップの時には涙を大きな目にためながら大野慶夫氏の一挙手一投足を追っていた。帰りがけ、嬉しそうな顔でタバコを一服していた姿を今でも覚えている。同い年だからだかもしれないけれど、僕はYuiに会うといつもなんだか懐かしい幼なじみに会ったような気持ちになる。向こうはそんなこと思ってないとは思うけれど。
Memory of "Crazy Market Garthering" in Taiwan #05
The memory of "Crazy Market Garthering" #04
台南、能勢興のメンバー、肉包(バオパオ)。ステージ進行係でずっと炎天下の中ステージ舞台裏で働いていた。本人もミュージシャンで、能勢興のオープニングの時に初めて歌声聞いた。僕がカメラ片手に一人でぽつねんとしていると、彼女は「ケン、タベル、タベル」といつもスイカを持ってきてくれた。明るくてボーイッシュでいつもおどけた顔をするけれども、ふとした時に見せる凛とした表情が僕は好きだ。
The memory of "Crazy Market Garthering" #03
上半身裸、ぼろぼろの短パン、破れたTシャツ。こんな格好なのに、見とれるほどかっこいい。衣服より先に身体そのものがまず世界に対して露になる瞬間、その人の体そのものが生き方の現れ/表現なのだと知る。太陽の光を浴びて赤銅色になった肌が本当に美しく見える。ナイロン製のTシャツ着ている自分が恥ずかしくなるくらいに。彼ら/彼女らの体そのものが生き方の表現でさえあるような、そんな風に思えてきたのだ。
memory of "Crazy Market Garthring" in Taiwan #02
今回、この祭りの準備、運営、進行のすべてを担当した台南のアートスペース「能勢興」のメンバーの一人、陳くん。いつもニコニコしながら、海域の祭りの期間ステージ進行からキッチンまで一日中働いていた。最終日に日本人のミュージシャンの人に作ってもらったという、草で編んだ帽子をいたく気に入ってかぶっていた。知人曰く、この草の帽子の編み方は沖縄、八重山諸島に伝わるつくり方らしい。自分たちができることを相手にしてあげる。無償の贈与がここではごく自然にここでは行なわれていた。
空に描く円
王庚(アクン)が道の脇に座りこんで何やら作業をしているので近づいてみると、棒の両端に花火を取り付けていた。夕暮れ時になると毎回パフォーマンスをするという。準備が出来たアクンの後を着いてくと、この棒を肩に担いでほっほっと小走りにゲストハウス内のテラスの斜面を降りていく。そして、向こうの海に面した小さな台形の突端まで駆け足でのぼる。その場所に立ち、一緒に持って来たオイルを地面にぐるりと円を描くようにたらし、そこにライターで火をつける。地面に丸い炎の環ができ、その真ん中でアクンが棒の両端のロケット花火に火をつけ勢い良く中で回し始める。パチパチパチ、シューッ!と花火が勢い良く吹き出し、夕暮れの空を煙が包む。歓声がワァッとあがる。その煙の中でアクンが棒を思い切り振り回して、空に火花の円弧を描いている。その後ろは白くかすんだ海。一瞬の芸術。
家族になる祭り "瘋市集", 花蓮, 台湾 2015.7
台湾の東側、標高3000メートル級の山々と太平洋に挟まれた町、花蓮。この町から南下していくと、水平に伸びた青い海を望む国道沿いに、たくさんの屋台と鉄パイプのステージ、そしてカラフルな模様の服を来た人たちが集っている一画が見えてくる。毎年、7月の第一週に開催される手作り音楽フェス「瘋市集」(クレイジー•マーケット•ギャザリング)は、台湾のヒッピー界隈が年に一度顔を会わせる大きな集会(ギャザリング)だ。
音楽フェスといっても入場料はない。出演者も遊びに来た人も皆、持参したテントを廃屋となったコンクリート2階建ての建物の中に広げ、海を眺めながら一緒に酒を飲み、音楽を聴き、食事を共にし、一週間共に暮らす祭りだ。夕方からは手作り雑貨屋、本屋、ケーキ売り、マッサージ屋など会場のあちこちに露店が立ち現れ、 外からの観光客も訪れてとてもにぎわう。ステージでは台湾はもちろん日本のミュージシャン達も演奏し、時には日台混成の即興のバンドまで生まれていた。
夜もふけると、たき火の周りでそれぞれが楽器を演奏したり、輪になって話をしたり、星空と波の音のあいだでゆったりと時を過ごす。こんな時間が一週間も続くと、そこにはもう皆が一緒に暮らす一つの村のような雰囲気すら生まれてくる。そんな不思議な台湾の祭りで出会った人びとの記録。